久保 隆弘−TAKAHIRO KUBO−
耐震の久保
地味だが重要な仕事、
「耐震診断」に営々と取り組む
久保 隆弘(40)。さくら構造 第一設計室 室長(入所8年目)。
北海道 空知支庁 長沼で、米作農家 3人兄姉の2番目として生まれる。
工学専門学校を卒業後、札幌の構造設計事務所に入所。ここでさくら構造 代表の田中と出会う。
その後、設立したばかりのさくら構造に参加。現在、最古参社員である。さくら構造への入所後は、5年間で、共同住宅、商業ビル、離島の展望台など約100棟の構造設計を手がけた。4年前に室長となってからは300棟の構造設計を指導・管理している。
趣味はゴルフ。
少し前の話ですが「別のスタッフが手がけた、ある耐震診断の案件で、判定委員会のOKがなかなか出ずに、発注元の設計事務所からクレームになりかけて、しかし、自分が途中からテコ入れしたら、すぐにOKがもらえて、設計事務所から驚かれた」という仕事が、自分の中では印象深いです。
「耐震診断」とは、大きくは、「1981年以前に建てた建物が、地震に対して大丈夫かどうかを、当時の設計図を見て調べる」という作業です。
より正確には、「1981年の、いわゆる『新耐震基準』が施工されるより以前に建てた建築物が、現在の建築基準法に合致するだけの、十分な耐震性を備えているかどうかを調査する」ということになります。
調査の成果物は「耐震報告書」です。この報告書は、作成後に「判定委員会」に提出します。
判定委員会とは、「耐震報告書の内容が適切かどうか」を判定するための委員会です。大学教授や、各地域のベテラン構造技術者など有識者により構成されています。
委員会が、OKを出したら、耐震報告書は完成です。
はい、たくさん来ています。2014年は90件の依頼がありました。
以前は、自治体からの依頼が多かったのですが、最近は、民間企業からの依頼が増えています。
学校や庁舎など、自治体の建物については、1995年の阪神淡路大震災の後、耐震診断のニーズが高まり、依頼が急増しました。しかし、現在は、古い建物の耐震診断は、ほぼ終了したので、依頼件数も少なくなりました。
一方、民間の建物の耐震診断については、2011年の東日本大震災のあと、耐震への関心が高まったせいか、依頼件数が増え続けています。
大きくは次のような力が必要です。
1.古い設計図を読み解く力
2.現地での観察力
3.図面の中の「不審な点」に気づく力
4.「重点的に診断するべき箇所」を見極める力
5.耐震診断の後の、「耐震補強」の設計と施工への配慮
6.判定委員会での説明力
耐震診断の作業は、「診断対象の建築物の、設計図面を読み解くこと」から始めます。
しかし、その設計図面は、1981年以前に作られた、35年~50年以上も前の、非常に古い図面なので、解読が困難なことは珍しくありません。具体的には、「字がかすれて読めない」、「手書きの字が汚くて読めない」、「その人の自己流の書き方をしているので意味が分からない」ということがあります。
新築の構造計算の仕事では、分からない点があれば、意匠設計者に直接、問い合わせることができます。しかし、数十年前の設計図面を相手にする耐震診断の仕事では、設計図を書いた本人に、質問することは、まず不可能です。
この点は、構造計算と耐震診断の、大きく異なる部分です。
設計図面を精査した後は、現地に出かけて、実際の建物を見ます。目的は、「図面上での不明点を現物を目視確認して、調べること」や「図面と実物の差異を調べること」などです。
特に後者の「図面と実物の差異の確認」は重要です。現地に行って、実際の建物を見たら、「窓の大きさがぜんぜん違っていた」とか、ひどい場合には「あるはずの窓がなかった…」とかいったことは、よくあることですから。
さっきも述べたとおり、耐震診断に現地視察は必須です。しかし、ただ何となく出かけて、ぼんやりと建築物を眺めても、何も分かりません。
現地入りする前に図面をよく見て、現場でのチェック項目を、予め認識しておく必要があります。
この「チェック項目洗い出し」の能力ですが、これについては、耐震診断の場数を踏んでいくうちに、図面をさっと眺めただけで、「ここの部分は何だか怪しい…」と、気配がつかめるようになります。
良い耐震診断を行うには、「耐震強度に特に大きな影響を与える部分を重点的にチェックすること」が重要です。
何でも、重箱の隅をつつけば良いという物ではありません。
今までの経験では、1981年以前に建てた建物が、現代の建築基準法の基準を満たしていることはまずありません。耐震診断の結果は、ほとんどの場合「耐震性が不足(不合格)」という判定になります(※)。
このように、耐震診断では、診断の結果は、やる前からほぼ分かっています。だったら、耐震診断などやらなくても、1981年以前の建物は、一律で「不合格判定」してしまい、さっさと耐震補強をしてしまえばよい、その方が手間の節約になるではないか、と、そんな考えもありうるわけですが、しかし、そうはいきません。なぜなら、「耐震診断をしないと、事後の耐震補強を的確に行えないから」です。
※ ごくまれに合格する建物もありますが、それは「低層建物なので、運良く…」といった理由。単なる偶然です。
根本のところから考えてみます。
良い耐震補強とはどんなものか。これは「耐震強度は十分に。しかし工費と工期は実用限度の最小範囲に。使い勝手は従来通りに」と表現できます。
まず、耐震強度を必要十分に確保することは絶対の前提です。
しかし、どの施主も、予算は潤沢にはありません。強度は確保しつつも、工費や工期は、なるべく抑制したいところです。
また、外観や使い勝手は、耐震補強後も、以前と同じであることが望ましい。いくら強度を上げるためとはいえ、窓をふさいだり、大きな柱で場所を占有したりすることは避けるべきです。
この「良い耐震補強」を実現するには、事前の調査、すなわち「耐震診断」が不可欠です。具体的には、「その建物の、どの部分が、どのように、どれだけ弱いのか」、「そこが弱くなっている原因は何なのか」、「その部分にどんな補強をすれば強度が取り戻せるのか」を、よく調べます。
こうした前提情報があれば、メリハリの効いた耐震補強が行えます。
ここまで説明した4つの力は、いわゆる「技術力」ですが、それ以外に、「判定委員会に対する説明力」、すなわち「コミュニケーション能力」が必要になります。
構造計算の仕事は、机に向かって黙々と計算を行う「デスクワーク」の側面の他に、判定委員会や確認審査機関などに、「自分はどういう方針で構造設計したのか」を説明する「対人折衝」の側面もあります。
耐震診断では、この「対人折衝」の能力が非常に重要です。どんなに、正しい診断書を作成しても、判定委員会で、質問に答えられなければ、その診断書は不合格判定される可能性が高い。委員の立場としては、質問に答えられない人が作った診断書に合格を出すことはできないわけで…。
実は、冒頭お話した、「ある耐震診断の案件で、途中からテコ入れに入ったところ、すぐに合格判定がもらえた」というのは、このケースでした。
私がテコ入れしたのは、「耐震診断そのもの」ではなく「判定員への説明」の方です。
首都圏の、とある設計事務所から、学校の耐震診断の仕事が、数件、立て続けに来ました。
その中の、ある案件は、以前に他のスタッフが手がけた案件と、建物の形に共通点が多く、「これなら、その時の診断報告書の内容が『ひながた』として使えるな」と思えたので、中途入所して間もないある技術者Aさん(※ すでに退職)に任せることにしました。
それほど難しい案件でもないし、その人は有名大学の工学部を卒業しているし、まずは大丈夫だろう、と。
しかし、しばらくして、設計事務所から、私に電話がかかってきて、「久保さん、あの人、何とかしてよ」と言われました。
診断報告書を作成した技術者は、判定委員会に出席して、委員からの質問に答える必要があります。面接試験のイメージです。そのAさんは、判定委員からの質問に、何も答えられず、黙りこんでしまったというのです。
これでは判定委員の立場として、耐震診断書を合格させるわけにはいきません。Aさんが提出した耐震診断書は保留になりました。
その状況を見た設計事務所から、「何とかしてよ」と私にクレームが来たというわけです。
はじめに、Aさんが作成した診断報告書を精査しました。その結果、「Aさんの報告書は、概ね正しい。内容に間違いはない」と分かりました。
次の判定員会は、2週間後でした。そこにはAさんではなく、私が出席することにしました。
判定会の当日は、委員の先生から出された質問に、1つ1つ回答しました。審査は穏やかに終了し、耐震診断書は合格しました。一件落着です。
さあ、なぜだったのでしょうか。正直、私にも分かりません。
最初は「もしかすると、判定委員が怖い人で、圧迫的な質問をしてきたのかな」とも推測しました。しかし、実際にお会いしたところ、判定委員は、温和な人柄の方で、質問も「この点は、なぜこのように計算なさったのですか」と聞かれただけでした。
うーん、こんな穏やかな質問なのに、Aさんはどうした答えられなかったんだろう…と思いましたが、おそらくは、対人関係が極度に苦手だったのでしょうね。。
私としては、この件を通じて「説明能力の重要性」を再認識しました。構造技術者は「計算できる」だけではダメで、自分がやったことを他人に「説明できる」ところまでいかないと仕事が完結しません。
それ以来、所内の技術者の「説明力強化」には、いっそう真剣に取り組んでいます。また、仕事を振り当てるときも、説明力があるかどうかに着目するようになりました。
場数を踏む。これ以外の方法は思い浮かびません。
耐震診断に必要な「古い設計図を読み解く力」、「現地での観察力」、「図面の中の『不審点』に気づく力」などなども、これを増強するには、場数を踏むのが一番です。
構造設計の仕事は、意匠設計に比べて地味な印象があります。
そして、その構造設計の中でも、耐震診断の仕事は「さらに地味な仕事」です。正直なところ、花形の仕事ではない。しかし耐震診断は、施主や居住者の財産、生命を守るためにはたいへん重要な仕事であり、私としてはそこにやりがいを感じています。
今後ともスタッフに多くの場数を踏ませていき、技術力、説明力の両面が優れた技術者を養成し、良い仕事をさせて社会に貢献していきたいと考えています。
みなさまこれからもよろしくお願いします。
取材日 2014.8