橋本 俊和−TOSHIKAZU HASHIMOTO−
バランスの橋本
打率3割、30本塁打、30盗塁みたいな技術者
旧基準と新基準が混合する困難な案件も完遂
橋本 俊和(39歳)。旭川生まれ。
父親は道内転勤族だったので、少年時代は静内(日高支庁)、島松(恵庭支庁)、利尻、妹背牛(深川支庁)、沼田(深川支庁)を転々。
建築学科を卒業後に、札幌のとある構造設計事務所に入所。
その後、事務所の将来性を悲観し、さくら構造に転勤(今年で5年目)。
前職では200棟、さくら構造では50棟の構造設計を手がける。
趣味はクルマ。いま乗っているのはインテグラ。
「3階建ての建物を、無理やり増築して9階にする」という仕事に取り組んだことがあります。
あまりの面倒くささに、どの設計事務所も敬遠した案件でしたが、さくら構造はこれを引き受け、実作業は私が担当することになりました。
難物だったので、これを完成させたことは思い出深いです。
端的にいえば、予算の都合です。
施主は最初、10階建てを計画していました。
しかし資金不足だったのでゼネコンと協議し、次のように計画を変更しました。
1.とりあえず3階建てで建てる。
(床面積800平米。20m*40m)
2.ただし基礎部分は、10階建てに耐えられる強度で作る。
3.資金が調達できたら10階建てに増築する。
要するに「10階建て用の基礎を作るが、実際の工事は3階までで中断する。時期が来たら工事を再開して10階建てで完成させる」というイメージです。
そして平成15年に3階建てがまずは竣工。それから7年後の平成22年、資金も調達できたので、さあ10階建てに増築だということになりました。
ところが、その段になって、当初予定していた構造設計事務所が逃げ出してしまったのです。
最初に3階建てを建てたときは、某ゼネコンが一括受注し、設計は某意匠設計事務所が下請けとして担当。構造設計は、そのまた下請けの某構造設計事務所が行いました。増築の時も、同じゼネコン、同じ意匠設計事務所、構造設計事務所で取り組む予定でした。
しかし、いざ作業開始というその段になって、構造設計事務所だけが「やっぱりできません」と仕事を放り出して逃げてしまいました。こうなると一番あわてることになるのは意匠設計事務所です。
今回の商流は「施主 → ゼネコン → 設計事務所 → 構造設計事務所」という流れです。ということは最下流の業者である構造設計事務所が逃げ出した場合、中流に位置する意匠設計事務所は、その上流(元請け)であるゼネコンそして最上流にいる施主に対し、面目まるつぶれになります。
運の悪いことに、その建物は、事業計画の都合上、「翌年4月の竣工、オープン」が絶対条件でした。その期限を過ぎると施主に多大な金額的損失が生じます。その意匠設計事務所としては何が何でも代わりの構造設計事務所を見つけなければいけません。
最終的には、さくら構造に「代打で構造設計をしてほしい」と依頼が入り、田中社長は二つ返事で承知し、そして私がこの仕事を任命されたわけです。
この仕事は難しくて自分たちにはできないと判断したみたいです。
実は、その構造設計事務所が「逃げ出した」、その事情も理解できなくもありません。というのも3階の建物を建てたその4年後の、平成19年に、いわゆる姉歯事件が起きたため、建築基準法が改正され建築基準が厳しくなったからです。
ということは平成22年の10階増築は、「姉歯以前の緩い基準で作った基礎の上に、姉歯以後の厳しい基準にパスさせる形で階を建て増しする」という、ちょっと考えただけでも無理のある話になります。
そのリスクは確かにありますが、それでも引き受けたくなかったみたいですね。
山田:どう考えても難しい仕事なので、社長も私もこれは橋本さんしかできないと判断しました。
この仕事を完遂するには、新築の構造計算、増築の構造計算、補強の構造計算など、あらゆるケースについてバランス良く経験と実績を持っている必要があります。
つまり「一芸に秀でている」より「バランス良く何でも出来る」ことの方が重要です。野球に喩えれば、「ホームラン30本、打率3割、盗塁30個」とか、あるいは「ピッチャーから外野まで、どのポジションでも守備できる」といった類いの能力です。
この「バランス良く何でもできる」という意味では、社内で橋本さんがピカイチでした。
まず大前提としては、「旧基準の基礎の上に新基準に適合する建物を建てる」というのは当然ながら無理があるわけです。この無理を是正するため、大きくは次のような方針を取りました。
最初ゼネコンは「3階建てを10階建てにする。工法は鉄筋コンクリート」という仕様をが想定していました。
しかし鉄筋コンクリートで10階建てにすると、上部が重くなりすぎ、新基準では基礎の強度が不足してしまいます。そこでまず階数については、1階減らして9階にしてもらいました。
また鉄筋コンクリート造りも重量増加の原因となるので、工法は鉄骨造に変更しました。
旧基準で作った基礎には、現行基準ではNGとなる素材が多く使われていました。このままでは審査をパスできないので、補強を施す必要があります。
しかし基礎を補強するといっても、その上にはすでに3階建ての上物が載っているわけですから、今更できることは限られてきます。
今回は、主に「横梁を使って基礎杭どうしの結合を強くする」という補強を行いました。その他、工期と予算のバランスを考えながら、細かい補強を色々と施しました。
方針3.
方針3.
「確認審査機関や適合性判定機関に確実な説明ができるようこの仕事では構造設計も大変でしたが、審査機関への説明も同じぐらい大変でした。旧基準の基礎の上に新基準の増築をするような、こんなややこしい建物を審査するのは、審査機関としても嫌なわけです。
審査機関の仕事は、基準に適合しない建築を世に出さないことですから、今回のようなヘンな建築には当然ながら厳しい質問を浴びせざるをえません。それは最初から予想できることだったので、今回は構造設計を行う最中にも、常に審査機関からの質問(ツッコミ)を予想し、それに先回りする形で回答を考えながら仕事をしました。
実際の審査機関の審査は予想通り厳しかったですが、丁寧に説明し、何とかパスしました。
本当に大変な仕事でした。
最初の構造設計事務所に就職した1年目は、「できなかった」ので嫌いでした。
3年目になると、「できる」ようにはなったので、少なくとも苦痛ではなくなりました。
それから後の数年は、「上手くなった」ので楽しい時期でした。
そして今はというと仕事に首まで漬かりすぎて、好きとか嫌いとかよく分からなくなったというのが正直なところです。
今は仕事と自分が一体化しているので好きとか嫌いとかの対象ではなくなりました。
常に真面目にやっているつもりですが、燃えているという感覚もありません。
ある人からは、さんは「消極的プロ意識の持ち主だ」と言われました。当たってるかもしれません。
とにかくこれからも頑張っていこうと思います。