山本 健介−KENSUKE YAMAMOTO−
構造未経験、CADもまともに出来ない自分が入社して4年
年間設計売上高2000万円相当の仕事を担当し、
報酬が2倍に
さくら構造に来て仕事の楽しさ、成長する喜びを感じ
一人の技術者として生き抜くスキルを身につけました
1978年生まれ北海道出身。
大学卒業後、地元の小規模の住宅メーカーを経て、2008年4月中途入社。
構造未経験者ながら、その実力をかわれ設計担当として活躍。
さくら構造で最も短期間に成長した技術者の一人。
自己実現目標は「育児をしても仕事量は常に社内でBEST3」
現在はさくら野球部の監督に就任。
今は主に耐震診断が中心ですが、たまに新築の構造設計も担当しています。
仕事量としては、判定会があるものと、ないもので担当できる仕事量が違うのですが、ざっくり言うと1ヶ 月で2棟前後の耐震診断もしくは新築の構造設計を担当していると思います。年間だと、だいたい年間20棟くらいになるかと思います。
建物種別は鉄骨が多くて、学校の体育館や、公民館などの公的な建物が多いですが、民間の耐震診断も最近は増えてきました。今は基本的に自分一人で対応できていますが、たまに自己解決できないときでも、周りに詳しい人がいっぱいいるので相談すれば、解決案が出てくるのは、とてもありがたいです。
さくら構造に入社して、次のような事が実現できました。
私が、さくら構造への入社した時は、構造設計未経験でしたので、構造の事は、ほぼ何も分からない状態でした。例えば、当時、社長や他の社員が夜になると、いつも構造の話をしていたのですが、その話も、何を話してるか、さっぱりわからず、他国の言葉を聞いているようでした。靱性がどうとか、塑性がどうとか、話してましたが、僕は「人生?蘇生???」みたいな感じです。こんな状態にも関わらず、図面もそこそこに、社長から「計算やってみよう!」と言われ、入社早々計算を担当する事になりました。
知識がないと言っても、この仕事が人命に関わる重要な仕事だという事くらいは知ってましたので「ホントに俺がやるの?」と思いましたが、実際に設計を進める段階になると、社長がほぼマンツーマンで夜中までつきあってくれました。社長の指導スタイルは、口は出すけど、手は出さないという感じでした。結局作業は私一人で最後までやりきり、途中、荷重表から電算も含めチェックしてもらい、最後のチェックで「うん、これなら絶対壊れない大丈夫!」と社長に言ってもらった時はとても安心したと同時に、最後まで自分一人でやりきったという自信を得る事ができました。この成功体験のおかげで、重大な仕事を任される責任の重さよりも、最後までやりきる喜びの方が勝る様になっていきました。
そして、これを繰り返していくうちに、ある時気づく事がありました。今まで全く意味が理解できなかった、みんなの会話が理解でき、自分の意見も少しづつ言えるようになってきたのです。他に、耐震診断の判定会に行った時も、最初の頃は、判定会の先生の指摘に対して「後日、直してきます・・・」と答えるのが精一杯だったのが、質問されても「それはこう考えていますので問題ありません」と堂々と先生を説得できるようになり、審査がスムーズに終わるようにもなりました。
もうこうなると、仕事が楽しくなるだけでなく、自分の成長を感じる喜びもあって、どっぷり構造にハマッていきました。残念な事ですが、前職では朝9:00から17:00までただ会社にいるだけな感覚で、仕事が楽しいとか、自分の成長を感じる喜びはあまり感じられませんでした。
学生の頃、元々理系で、構造も好きだったのはありますが、これほど早く、全くの未経験の私が成長できたのは、先輩の指導はもちろん、お手本になる仲間がいた事、そして当時の雑談のおかげかなと思っています。
これは言葉通りで、入社当時(4年前)の給与と比較すると2倍ほど給与があがりました。入社当時は、前職と大差ない給与からスタートでしたが、さくら構造独自の報酬分配の考え方のおかげで、急激に昇級していきました。
さくら構造の報酬分配の考えかたは、仕事量をたくさんやった人がたくさんお給料もらいましょうね、という事なので、単純に自分が出来る仕事量を増やしたら、給与も上がったという事になります。今では年間設計売上高で2000万くらいの仕事量をやってますので、それにみあった報酬をもらえるというのは、私のやりがいに繋がりました。
また、この昇級ペースは、4年以上前に社長から報酬提案書に記載されていた昇級ペースとほぼ同じ推移をしています。入社時の提案書を見た時は「ホントにこんな昇級したらいいな」くらいにしか思っていませんでしたが、実際にそれが実現でき、がんばったかいがありました。
例えば、ある時、私の親戚が集まってゴルフ大会やる事になった時があったのですが、それが平日だったのです。普通だったら、平日は休めないので参加できなという話だと思いますが、さくら構造の場合は、社長に休みたい申請をすると「はい、どうぞ」で休めます。また、新婚旅行で、東京に行った時に、嫁が体調不良で緊急入院の可能性があり、しばらく東京から帰ってこれなくなる可能性がある時に、社長に、東京事務所でしばらく働いてもいいですか?と聞くと「はい、どうぞ」でOKでした。実際には入院は回避できたのですが、いつもだいたいこんな感じです。
これだけ聞くと、いい話だけのようですが、さくら構造の考え方は、「周りの社員や、顧客に迷惑をかけない、不愉快な思いをさせないのであれば、その責任を全うできる範囲で自由である」という事があります。また、そこには会社と社員の信頼関係も同時に必要になります。信頼を裏切るような自体になれば、例えば、顧客と約束した工程を遅らせたりしたら、それはもう、間違いなく社長からヤキがはいりますし、休み下さいなんて言えません。
でも、そんなダサイ事をしないと、社長や上司が私を信用してくれているから「はいどうぞ、休んで下さい」という事になるのだと思います。さくら構造は単純に自由なだけでなく、つねに「責任がつきまとう自由」になりますので、それをしっかり理解し、コントロールできる人にとっては、とてもありがたい社風だと思います。
私の今後の、自己実現目標の中に「子育てもするけど、仕事量は減らさず常に社内BEST3」という目標があります。
子育てを手伝うという事は、今までの様に、仕事だけに時間を割く働き方はできなくなってきます。早く帰る事も必要ですし、仕事をする時間をどう作っていくかも考えないといけないと思いますが、労働時間を減らして、仕事量は減らさないようにする事は絶対 できると思っています。
そして、そのお手本になりたいとも思っています。こういった挑戦がしやすいのも、さくら構造が時間ではなく、仕事量で自分たちの働きを評価してくれるからこそです。
これから自分の人生の中で、いろんなイベントがあった時に、自分の能力で作り出した時間を、自分で好きなように使えるという事は、その時その時のイベントにあわせ、自分が割くべき時間をコントロールできるという事であり、とても大きなメリットです。これからは、仕事だけでなく、家庭も遊びも大事にしていきたいと思っています。
さくら構造に入社してから感じたのは、仲間意識が強い会社だなという事です。仕事面で言えば、技術的な事を同僚に相談しても、ほとんどの人が自分の経験を教えてくれたり、フォーマットや参考図をくれたりします。また、仲間が仕事でテンパッテいて、ヘルプの依頼があれば、自分の担当以外の仕事でも手伝ってくれます。
仕事以外の面でも、私が引っ越しすると言うと、みんないっせいにネットで部屋を探してくれ「これ、いんじゃねーか?」みたいな事になったり、車買うと言うと、車大好き社員が出てきて、あれこれ教えてくれるし、子供が生まれた時はベビーカーをくれる人もいます。他にも、おしゃれに無頓着だった、私の服選びのために、ジャスコに3時間つきあってくれる人がいたりと、とにかく、ワイワイがやがや、やってくれます。
こういう環境なので、今は、自分自身も他の社員のために何かしようと思えますし、自分が今まで経験して来た事、成長してきた事を若い人たちに伝えていければいいなと思っています。
さくら構造にはワンピースのキャラにいる様な、「とにかく個性的で、すごい人たち」 がいます。 たとえばですが
事務所に住んでるってのは半分冗談です(笑)。でも他は、ほぼ本当でこういう人たちがいます。他にも変な人(すごい人)がいますが、これだけ個性的で、すごい能力をもっている人と 一緒に同じ時間、同じ場所で過ごしていれば、嫌でも学ぶ事、吸収できる事が増え、成長することができます。
以前の職場にいる時は、収入面、技術面で不安があり、将来の事を考えられる状況ではありませんでしたが、さくら構造に来て、報酬だけでなく、技術的な成長が自分の自信につながり ました。結婚を決意する時も、万一、会社が倒産してしまうような状況になっても、いまの自分の技術があれば、家族だけは守っていけると思える様になりました。
これは、さくら構造エンジニアリングシップ10項にある「会社に依存せず、社外でも技術者として自立できる幅広い技術を身につけることが求められます。」のくだりを実現すべく努力してきた結果です。
そして、さくら構造には、門外不出の「社員業務表」という、社員にとって極めて重要な仕事量を計るための表があります。私はこの表を入社当時から保存していますが、入社 時はいかに仕事をしていなかったか、今はどれほど仕事をしているか、よくわかります。この業務表を転職の時に面接官に見せれば、どんな職務経歴書よりパンチが効いて、採用してもらえると思いますし、それだけ市場価値の高い技術を身につけられたと考えています。
前職では約3年働いたのですが、昇級も賞与も無く、特別技術も身につかない状況でしたので、なんとかこの状況を打開したいと思っていました。その頃、ちょうど資格試験のため資格学校に通っていたのですが、そこの喫煙室に、さくら構造の求人表が貼ってあったのです。採用条件の中に未経験者でも良いとあった事と、ちょうど試験勉強をしていて構造が一番得意でしたし、学生時代も力学が好きだったので、応募する事にしました。
面接は社長がしてくれたのですが、その時に、報酬制度の事を説明してもらいました。社長が言っていたのは、社長がサラリーマンの時に、あきらかに他の社員より仕事をしているの に、それを評価してもらえないのが理不尽だと思った事と、その様な環境だと、社員がさぼったもん勝ちの様な状況になる事、またサボらないように所長が社員を監視するという、気持ち悪い環境になるのが嫌で、自分の会社では、社員にそういう思いを感じさせないように、いまの報酬制度を作った事を教えてもらいました。
その他に、当時私はダーツが趣味で、毎週夜8時から練習があったのですが、それに参加していいか聞いたところ、自分がまかされた仕事をしっかりやってくれればいいです、とも言ってくれました。
面接で社長がこういう話をしてくれた事で、自分の気持ちも上がり、是非さくら構造に入社したいと思ったのですが、面接の最後の最後で社長から「きみだったら、きっと他の会社でも 採用してもらえるから、転職活動がんばって。」みたいな事を言われ、それまで、いい手応えを感じていたにも関わらず、その一言で「あれ?俺落ちた?」と思いました(笑)。でも、その1週間後に「うちに来るか?」と社長から奇跡的に電話があり、今ここにいます。
一番心配だったのは、人命に関わる重大な仕事を、全く未経験の自分が、本当にできるのか?という事です。実際に入社した時には、他のCAD担当の作図スピードをみて愕然ともしました。自分のCADのスピードが、あかちゃんレベルだと思い知らされたのです。こんな状態でのスタートですから、不安はありましたが、とにかくやるしかないと思っていました。ただこの不安は、先輩たちの支援で乗り切れました。
会社の将来の事は、今までより良くなると思っていましたので、不安はあまりありませんでした。入社してから思ったのは、社長が、わりと行き当たりばったりなところがあるけれど、 なんだかんだいつも上手くやるので、世の中の変化で、会社がピンチになったとしても、あの人なら、なんとかしてくれるだろうと思っていますので、心配はしてません。
特別に意識していたわけではありませんが、とりあえず、お手本になる人の言動や考え方、仕事の仕方などをよく観察して真似るように努力してきました。このやり方は、そもそも真似したいと思える人がいないとできない作戦ですが、先ほど話したとおり、さくら構造には、すごい人たちがたくさんいます。それぞれが個性的なので、人によって、真似るべきポイントが違いますが、その人のいいところだけ抜き出して真似るという事をしてきました。
他にあるとすると、自分のスペック以上の仕事を常にTRYしていくという事だと思います。自分のスペックを超える仕事をする事によって成長が加速すると思います。
さくらの社員の中 にも、自分のスペック以上の仕事を逃げる人がいますが、そういう人はあきらかに成長スピードは遅く、仕事の幅も狭くなっています。自分のスペック以上の仕事が降りてくると、事故る可能性を気にして逃げる人がいますが、それは自分のスペックを超えているだけで、さくら構造のスペックを超えている訳ではありません。私は、自分の能力や経験が足りなくて、受けた仕事がうまく対応できなくても、さくら構造のスペックを超えていない仕事であれば、先輩たちがフォローやアドバイスしてくれると思っていますので、積極的に挑戦してきました。
さくら構造には、やりたくない人にはやらせなくていい、というスタンスもあるので、自ら逃げる人には、仕事をやらせません。それで成長できないのは本人の責任。評価や報酬が下がるのも本人の選択であると考えているのです。社員の意志を尊重する社風がありますが、それはやりたくないと言う意志も認めることになります。つまり各自が積極的に仕事に取り組まないと、成長も遅くなるという事だと思います。そういう意味では、厳しい会社であると言えます。
はい、公開の場で言っていいのかわかりませんが、正直にいいます。6年つきあった、彼女にさくら構造入社1年半で振られました。当時は結婚も考えてました。
さくらに入社して1年くらいたった頃、社長面談があって「今年の豊富ある?」と聞かれ結婚を考えていると伝えると「お!いいね♪しろしろ!」と応援してくれましたが、そのしばらく後に別れる事になってしまいました。別れた理由はここでは控えますが、仕事に没頭した事も多少影響していたと思います。後日、社長や仲間に雑談の中で別れた事を報告すると、社長が「お!よかったじゃん。次いけるじゃん!」と超ポジティブな意見(笑)。無神経なのか、気をつかってくれているのかよくわかりませんでしたが、後から聞くとかなり責任を感じていたらしく、この後、ちょっと考えられない展開になりました。
社長主催で「山本くんに彼女作る会」という訳わかんない会を作ったんです。正直言うと、当時は、「もう、そっとしておいてほしい」という気持ちでした(笑)。でもなかば強引な感じで どんどん話が進んでしまって、結局何をしたかというと、婚活パーティに男5人で参加したりしました。僕よりも他のメンバーの方がテンションあがってるのが意味不明でした。婚活パーティで社長が「あそこにいる山本くんは、今後数年で給与が1.5倍になる男だ。つきあうなら今だぞ」とか言ってました(笑)。それ聞いてリアルに1.5倍の給与いくらかなと妄想しましたけどね。
その後、社長が出張行く直前に「出張から帰ってきたら海で焼き肉やるから女子集めておくように、じゃ!」と言って東京に行っちゃったんです。各自ノルマまでありました。そこから、 会のメンバーとまた婚活パーティに行って女子を集めました。結局、僕が一番、集めたんですよね。自分のための会なのに、私が女子を集めるのは複雑な心境でした。海にいくと、いっとう最初に、社長が「今日は、山本くんに彼女作るための集まりなんで、みなさんよろしく!」って言ってくれたんですが、そんな事言われたら、もう逆に動きづらくてしょうがありませんでした。結局その海では、全く成果はありませんでした。
中々成果がでない中で、今度は社長が交流会の様な場を主催してくれました。そして、その交流会で自分の前に座った女性が、いまの嫁です。最初の頃はそっとしておいてくれと思いましたが、いまとなっては感謝するしかありません。婚活支援を受けた時に、給与が1.5倍になるって話も実際にほぼそうなってます。あの人のポジティブさから来る、ぶっとんだ発言や行動は、普通では考えられない事をやってしまうパワーがあると思いました。
さくら構造だったから、結婚できたという訳ではないと思いますが、婚活支援をしてくれる構造設計事務所はたぶん日本中探してもさくら構造だけだろうと思います。さくらにある独特 の空気として、仲間意識、同志としての絆の様なものがあるのかなと思います。
さくら構造を、自分なりに表現すると、自由奔放、わきあいあい、でもやるときは、ビシッとやる。普段はグダグダな人もいるが、短納期の大量案件がくるとスイッチ入れて、チーム組ん でイッキにやる。こんな印象です。
4年働きましたが、モチベーション自体は大きくは変わりません。前より仕事ができるようになった分、学びの機会が減ったのはマイナスですが、その分、今度は他の人に教える楽しみができて結果モチベーション的にチャラになっています。これから、また新たな分野として振動とかやれば、また学びの喜びは増えると思します。今は家族が増えたので、そういう意味でもがんばろうと思っています。
私がまさに体験者としていえるのですが、さくら構造は、生きていくためのスキルを身につける場であるという事です。
私は、設計売上相当で年間2000万の仕事が出来るようになる事で、自分の成長を感じ、喜びも感じます。また社会にそれだけの価値を提供できている事も感じられるようになりました。
前職よりも働く時間が長くなったと思う事はありましたが、逆にそれを乗り越えて成長している事が楽しいと思える様になりましたし、それが自信に繋がり、精神的にはきついというより、充実しています。僕はこの仕事に取り組んできて、本当にいい仕事だと思っています。
ハードワークという表面だけみずに、その中で成長している、あなた自身を想像してみてほしい。そして是非、さくら構造の仲間として飛び込んでほしいと思います。
今後は、より新しい技術に挑戦したいと思います。まだまだ経験が足りない部分があるので、仕事の幅をもう少し広げたいです。あと、今は技術的に他の仲間に教えられる事もあるので、さくら構造で自分が成長できたように、今後は後輩たちに教えることで、後輩を成長させることができたらいいなと思っています。
会社に対しては、私が入社した頃に比べると、ずいぶん社員が増えました。管理体制が変わる前は、社長と一般社員との距離が近かったけど、今は少し遠くなってしまった様な気がします。社長と社員の距離が近かった時は感じなかった社員の不満が増幅しないように、班長がその分カバーしなければいけないと思います。
あと、漠然とですが、会社も安定してきて、たぶん一般社員で、今の制度でもらえる報酬の上限が見えてきたように思います。まだ早いかもしれませんが、社長には是非、その先、つまり今の限界を超える報酬の可能性を見せてほしいと思います。
後日、社長談) OK! 見せてやる!
取材日 2012.9.28